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【気仙沼と私の出会い】
 それは偶然のことでした。少しだけ長い話になります。
 1992年の夏、私は中東、ヨルダンを旅行しました。その旅行中イラクがクウェートに侵攻しました。

 イラクがクウェートに侵攻中もヨルダンからイスラエルに行きましたし、身の危険は感じなかったのですが、帰りの飛行機がバーレーン経由でした。これはちょっとまずいのではないか…湾岸の空港は閉鎖されてしますかもとか…と思い、チケットをバーレーン経由ではないマレーシア、クアラルンプール経由にしました。結局バーレーン経由でも問題なかったんですけど…このマレーシア航空のチケット、座席がOK状態ではなく、RQ(リクエスト)状態でした。でも、ウェーティングすればすぐに乗れるだろうと安易に考えていたのです…

 クアラルンプールでは空港まん前のエアポートホテルにチェックインして優雅に1泊して、帰ればいいと思ったし、宿泊代もカードで払えばとりあえず、いいし…エアポートホテルが優雅?と目を疑った人もいたかもしれませんね。そのころの私はアジアのかなりお手頃価格のホテル?に泊まる正真正銘のバックパッカーだったのです。そのころの私にしたら、プールのあるホテルなんて超のつく高級ホテルでした。


 
ところが、ウェーティングしても飛行機に乗れない!理由は大きく2つ。ひとつはマレーシア航空の大胆なオーバーブッキング。そんなにドタキャンする人いるかね?というくらい。ふたつ目は、ほぼ全部の飛行機が成田経由アメリカのどこかの空港行きなので、ウェーティングしている人の中でもアメリカに向かう人を優先してしまうから。

 2,3日そんな日が続いて、仕事もあるし、かなり、まずいなと思い、いろいろ考えて…そのころはネットなんてないし、とりあえず、何日も先だけど大分までなら、空席があるし、大分から埼玉まで青春18切符で帰ろうかとか…

 それにしてもどうやって時間をつぶすんだ!ホテル代だってもうこれ以上払いたくないし、プールに優雅に入っていようかなんて、気分じゃなし、マレーシアのガイドブックだってないんだから、クアラルンプール観光だって簡単にはできない。

 今なら、ネットで情報を得るなんてことはあっという間だけど、今、思えばあのころは一つ一つ手作業という感じでしたね。とりあえず、バスに乗って、クアラルンプール市内に行ってみましたが、なんだか、わけわからず、とほほの気もちでまた、エアポートホテルに舞い戻って来ました。

 そうこうするうちになぜかオーバーブッキングで飛行機に乗れない日本人が空港に何人も現れだしました。また荷物がどこかに行ってしまった日本人がいたり…文句言いたくても、みんな英語が通じず。で、私が頼まれてあっちに行き、こっちに行き、交渉しました。と言っても私の英語だってたいしたことのない、単語並べるだけに等しい、超のつくbroken Englishって代物で。ただハッタリでかましてやれ〜みたいな英語であるわけですが。

 他の日本人のチケットはRQではなくOK状態なのにオーバーブッキングで乗れない。マレーシア航空のスタッフに「私のチケットはRQだから、乗れないのは仕方がない、けれど彼らのチケットはOK状態なんだから、乗れないのはおかしいじゃないか!」みたいなすったもんだ〜、すったもんだ〜があって、ついにぶちぎれた私は、日本語で「ふざけんじゃないわよ〜。日本人をなめてんの〜。」みたいことを叫び、マレーシア航空のカウンターを2、3発パパンと叩きました。すると〜…今まで、なかったはずの成田行きのチケットが、あらあら不思議、全員分、約10枚…リクエストチケットの私の分まで…出てきたのです。お〜、ミラクル!奇跡です。

 今でもなぜ、チケットが出てきたかは謎ですが、とにかく、全員、飛行機に乗れることになって、無事に日本に帰れたのです。私にとってはRQチケットがいきなり、本物のチケットに変わり、超ラッキー!でした。それで、飛行機に乗れた人の中に気仙沼漁協に勤めている人がいて、「ありがとう。刺身で食べられる秋刀魚、送っからね〜。」と言ってくれて、約束どおり、秋刀魚が送られてきたのです。秋刀魚のさばき方やレシピのプリントも添えられて。

      

 長〜い話になりましたが、これが、私と気仙沼と気仙沼の秋刀魚との出会いです。

 送られてきた秋刀魚は美味しくて美味しくて、刺身で食べられるほど新鮮な秋刀魚に感動。その年は計3回も大量の秋刀魚を送っていただき、恐縮してしまいました。でも送ってくださった方の気もちがとてもうれしくまた、誠実なお人柄にふれ、とてもありがたい気もちでした。そして、彼女を育んだ気仙沼という土地にもとても温かく大きなものを感じました。
 
 その後、この時の秋刀魚がきっかけで毎年恒例の秋刀魚パーティに繋がっていくのですが、クアラルンプール空港での出来事が、私の”武勇伝?”として、語り継がれることとなったのでした…いわく…「決め手は日本語(…英語ではなく、とほほ…)とカウンターパンチ?」……その後私は英語の勉強を細々と続けています…。

                          
       
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