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 秋刀魚パーティの始まり
 
「気仙沼と私」に書いたように1992年に気仙沼の方に送っていただいた秋刀魚が、今も続くさんまパーティの始まりでした。

 お礼にと送られてきた秋刀魚…勤めていて、日中は家にいないので、職場に送られてきたのですが…その量が半端じゃなく、発泡スチロールの入れ物の大きさと重さから考えて、その数何十尾!「お〜。どうするんだ!大変だ!一人じゃ食べきれないし、狭い、私のアパートじゃとても料理ができない!」

 ということで、マンションに住んでいる友人に場所の提供を依頼し、食べる人たちも集めて秋刀魚を調理。てんやわんやの状態。なにしろ、初めてのことで、秋刀魚と言えば、塩焼きくらいしか知らないし。いっしょに入っていたさばき方を見て、さばき、同じく入っていたレシピも参考に作る、作る、作る!15,6人はいないと食べきれる感じじゃなかったので、急遽集まってもらった人たちは、友だちの友だちという感じで、もう全く知らない人も何人もいて。でもとにかく秋刀魚の美味しさで盛り上がる、盛り上がる!

 その年は計3回、確か9月、10月、11月と送っていただきました。そのときそのときで秋刀魚の脂ののりかたが違っているのが、はっきりわかり、不思議でした。気仙沼の人たちはこういう季節感も大切にして、秋刀魚を食べているんだろうなあと思ったりもしました。

 2、3年お礼の秋刀魚が続き、友人宅での知らない人もたくさんいる会をやりました。
 しかし、もうさすがにお礼の秋刀魚をいただくのは申し訳なく思い、秋刀魚のお礼はお断りしたのですが、もう秋刀魚なしではいられない状態の人が私をはじめ、友人たちの中にも表れていました。それで、その方を介して、毎年1回10月に秋刀魚を気仙沼に注文するようになりました。
 
 調子づいて、戻り鰹を頼んだ年もあったのですが、これはやっぱり、大物過ぎて、手に負えない感じだったので、それからは秋刀魚一筋。
 集まるメンバーもだんだん大学時代の同窓生やその家族が多くなってきました。なんとなく会の名前も「秋刀魚パーティ」が定着しました。
  
 そして1996年にマンションを購入。自宅で気兼ねなく秋刀魚パーティができるようになりました。10月上旬に引っ越して数日後には秋刀魚パーティを開催。新築のマンションでいきなり、秋刀魚の塩焼きをするの?と心配してくれた友だちもいましたが、ノー、プロブレム!!
 会を重ねて、集まる人たちは大学時代の友達とその家族にが中心になり、まるで同期会のようになってきました。
 
 2007年は私の体調不良で開催できなかったのですがそれ以外の年は毎年10月の体育の日の前後の土曜日か日曜日に秋刀魚パーティをやっています。秋刀魚の数も60尾から100尾ぐらいまでいろいろでしたが、このごろは特大秋刀魚70尾ぐらいです。1992年からですから、18年間続いていることになります。秋刀魚と友人との再会を楽しみにしている友人が多いのです。なので、大袈裟なようですが、私が生きている限りやります!!! 友人たちよ、楽しみしていてくれたまえ!!!
 
 ここに秋刀魚パーティのときの写真を掲載したいのですが、友人たちの許可を得ていないので、許可を得てからにしたいと思います。

 そして、このような機会を与えてくださった気仙沼の方々にとても感謝しています。
 気仙沼の皆さん、今年も秋刀魚パーティができたら、とてもとてもうれしいです。心から、復興を祈っています。がんばれ、がんばれ、気仙沼。
 
                         

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